クリスチャンたちとの出会い
皆さん、お久しぶりです。
私はただいま1日のうち
自由な時間が24時間あるため、
読みふけっていました。
そして、また悟りました。
このブログもう終わってしまうって。
だからこの楽しい時間を
まったりのんびり継続させたいがために
完全に3日坊主になっておりました。
ちなみに
前回ご紹介した書道家ダイスケさん。
ヨーロッパ各地をまわり
たった75日間だけで
無料で!
タダですよ!タダ!
1万人もの人たちに
名前を書いて
プレゼントするという
チャレンジを成功させたんです(泣)
パラリンピックへ向けて。
こちらがそのチャレンジをまとめた動画📷
なんか改めてこの愛のあふれる
動画を観てみると
最近、自分のことしか考えてなかったなぁと
心洗われました。
ありがとう!ダイスケさん!
というわけで、
スタッフさんたちも
これだけ愛に満ち溢れておりますので
フィリピン人の先生たちも
最高に優しくて、面白くて。
今日はその先生たちとの日々を
書きたいと思います!
授業は先生とマンツーマンで、
英語オンリーで行われますが
私ははじめ全く
英語話せませんでした。
本当に、イエスかノーか
アイラブフィリピーーーーンとしか
言えませんでした。
でも楽しく授業をしてもらったおかげで
モチベーション高く学習できて
最後の方は教科書使わなくても
先生と宗教や文化について
2時間フリートークで話せてたり
人生についてみたいな
深いい話ができるようになりました。
そのきっかけを作ってくれたのは
彼女、ティーチャーメアリー。
これたぶん初日の授業です。
やばさ十分伝わりますよね?
他の先生からも
「あいつはクレイジーだ」って
言われてました。
授業中もこんな感じで
ずっとふざけてましたが、
留学生活が1ヶ月ほど経った
週末のある日、
ショッピングモールで
メアリー先生と遭遇。
「わーい!ランチしよー!」ってなって
ファーストフード店に入って
話してたら
メアリー「てゆーか、
あと30分後に島に旅いくけど行くー?」
私 「え?行かない」
メアリー「1泊2日だよ」
私 「ますます行かない」
メアリー「私の友達2人来るし行こうよ」
私 「無理無理無理。怖すぎる」
メアリー「間に合わないから
あと5分で決めて。早くしろ」
私 「いや、服とかなんもないし
行けないってば」
メアリー「そこの服屋さんで買えばいいじゃん!」
私 「よし!じゃあ!行く!(笑)」
スーパービビり、
ノミのハートの私は
新しいことに飛び込むのがすごく苦手で
なんならとても人見知りでしたし
私しか日本人いないのとか
怖すぎるなと思って断ってましたが
「いや、待てよ。
現地の人と仲良くなれる
こんなチャンスないかもよ?」
と、急にスリルを求めはじめ
参加を決意。
その30分後には
満員の地元船に乗り
(外国人は料金高く取られるから
一言も話すなって言われて乗ったら
たぶん10円ぐらいで乗れました
優しい(泣)
この4人で行くのかなって思ってたんです。
ユニースとRJ。
元気かなー?
そんな私たちが
船に乗って向かったのは
セブ島から船で1時間?30分ぐらい?の
オランゴ島。
そして、
そこには15人ほどのお仲間たち。
あれ?
私すごい場違いじゃないかしら?
ごめんなさい。
大丈夫かしら?
という訳で、
よくよく聞いてみると
メアリー先生はクリスチャンで
あるカトリックグループの集まりに
私は参加させて頂けたみたいです。
ミラクルだなーと思うんですけど、
私のひいばあちゃんは
クリスチャンで
長崎で教会を作っていたそう。
私が通った高校もキリスト教の学校で
聖書などについての知識は
少しだけありました。
(毎朝礼拝がありまして
爆睡して先生に頭叩かれてたけど
聖書は好きな箇所にカラーペンで
線引きまくってました)
これはひいばあちゃんが
導いてくれたのかな?って思いました。
という訳で、
皆さん本気のクリスチャンなので
1メートルぐらいの
けっこー大きめなマリア様の像を
島に持ち込んでました。
たき火を囲んで
30分ぐらいお祈りしたり
ゲームしたり。
ブードルファイト?っていう
フィリピンの郷土料理も食べれました。
超楽しかったし、最高でしたが
メアリーさんがベッド占領しすぎて
夜は全く寝れませんでした。(笑)
私には10センチぐらいの幅しか
残されてなかった。
そんなメアリーは20歳。
私と干支は1周違うのに
年功序列の概念は皆無です。
みんな優しくて
「アイコのためにビサヤ語じゃなくて
英語使おう!」って言ってくれて
ずっと英語使ってくれました。
このグループのみんなとは
私がフィリピンを離れるまで
10回近く共に過ごさせて頂きまして
「私達は家族だよ」って言ってくれたり
ごはん行ったり
島の小学校に
勉強教えるボランティアに誘ってくれたり
(最後名残り惜しすぎて
船が出発してもついてきてくれた
優しい子たち。
また絶対会いに行きます)
結構な頻度で会えてたんですが
最終的に仲良くなりすぎて
もはや英語使われなくなって
超ビサヤ語で話されるようになって
私は日本語で話してて
でもなんとなく
言っていることがわかるという
ちょっとこわいことが
起きるようになりました。
違う言語話してるのに
ギャグ言ってるのがわかったり
みんなで泣くぐらい笑ったり
すごい不思議でした。
そしてミラクルな事件は、
シーフード屋さんに行って起こりました。
つづく........